子どもの心臓病

居場所探しを続けていた頃の私に伝えたいこと

 

子どもの頃から、自分の居場所がわかりませんでした。

親の価値観でベタ塗されていた私は、まるで洗脳されたかのように生きていて。
本来の自分がどんな姿なのかもわからないまま、大人たちの評価に怯え、そのうちにいじめや仲間はずれを経験し。

なぜ疎まれるのか。
正体不明の木偶のままでは、誰からも受け入れてもらえないのか。
私はいったい何のために生きているのか。

ぺしゃんこに潰れた自尊心と、親の期待に応えられない罪悪感。
閉塞感の中で自由に息をすることもままならない、そんな毎日に疲れていました。

生きづらさと「おとな」になりたかった私

自分の存在が社会にとって必要ないと感じていた

私が専門学校を卒業したのは2003年3月。
いわゆる就職氷河期、ちょうどロストジェネレーション世代です。

求人は少なかったのですが、学校と関わりの強い地元企業ならば内定をもらえる確率は高く。
女の子は地元出身が多かったので、そうやって仕事を決めていきました。

私は転勤族の家庭に育ち、地元や故郷の概念がありません。
当時の父はまだ40代後半の働き盛り、次またいつ引っ越すかもわからない実家で暮らすつもりもなく。
学校から推薦された税理士事務所を断り、どんな形であれ生きていけるだろうと札幌で就職活動をしました。

ところが箱入り娘で育てられ、とにかく世間知らずだった私。
ATMの使い方くらいはわかるけれど、切符の買い方はよくわからない。
そんな20歳でした。

あがり症で面接は失敗続き。
就職先を紹介してくれた事務長からは嫌味を言われ、自信を喪失し。
その繰り返しの中で、何とか就職先を見つけたのは2月中旬のこと。

当時の状況では1社でも内定が出れば御の字、選り好みをしている余裕はありませんでした。

新卒採用された会社は、入力専用機に向かい黙々とデータ入力するキーパンチャー。
入社からほどなくして始まった毎日の残業と、女性ばかりの空間で誰とも話すことなく過ごす日々でした。
精神的に追いこまれ、3ヶ月で退職して休養。

新卒で早々に退職した人間の再就職が簡単にいくことはなく。
その後は書類選考で落ち続ける日々と、ブラック企業をつかまされることも数回。

「指示待ちで使えない」と聞こえよがしに言われ、「素養がない」とばっさり切られ。
社会生活への知識も耐性もない私は集団にもなじめず、すっかりと参ってしまいました。

父の言いなりで生きてきて、自分で考えることも責任を取ることも知りません。

何もできない自分。
何も知らない自分。

自分がどう間違っているのかさえも気づけません。

つのる無価値感、孤独を越えた恐怖。
今となれば甘ったれの泣き言だと言えますが、しかるべき時期に経験の機会を奪った親の責任も大きいと感じています。

何とかひとりで生きていけるようになったのは、退職から3ヶ月後に決まったアルバイトのおかげでした。

ひとりの「人」として認められたかった

アルバイトから契約社員へと雇用形態が変わり、生活はラクになりました。

ただし、時給は上がっても大きな責任を背負わされることはなく。
ラクを選ぶのなら居心地はよかったけれど、ただ流れていく時間の中で専門的な知識や技術が身につくことはなく。

正社員で就職した人たちと比べて、圧倒的に劣っているだろう自分を情けなく感じることが多くなりました。
理想とするものに届かない葛藤ばかり。
でも仕事を失う恐怖を選ぶことはできないまま、自分の世界を広げられずにいました。

辞めるきっかけは上司からのパワハラ。
契約満了とともに逃げるように辞めて結婚しました。

結婚後、元夫の借金が発覚。
生活費はまったく足りず、働くことを余儀なくされました。

決まった仕事はどこにでもある一般事務、外部との接点があり多少の責任を背負うもの。
ただそれだけで、そこには仕事を認められる喜びがありました。

ここでやっと、私は自分が少しだけ「おとな」になれた気がしたんです。

子育ては強引に世界を広げる時間だった

妊娠とともにパートを辞め、専業主婦になりました。

出産後は子どもと向き合う毎日です。
ひとりの時間を持つどころか睡眠さえ満足に取れない、私にとってはひたすら若さと根性で乗り越える時間でした。

幸いだったのは、子育てが9の「つらい」と1の「かわいい」からできていたとしても、時の流れとともに「かわいい」が優位になっていく特殊な設定だったこと。
私にとっては、です。

そのおかげで私は楽しくやってこれたように感じています。

それでも時折、社会から切り離されたような、置いてけぼりをくらったような孤独も感じていました。
元夫は仕事を大義名分にして、子育てに積極的に関わる人ではなかったからです。

そんな私の世界を広げてくれたのは、やはり子どもたち。

家事・子育ての知識が身についたことは言うまでもなく。
子どもが集団生活に入ると、子どもを介しての先生や保護者との関わり。
ご近所付き合いでさえ、子どもがきっかけになることが多いものです。

これまでひとりでは知りようもなかった世界に、子どもたちは手を引いて連れて行ってくれました。
「親になる」という責任が、私を「おとな」に近づけていきます。

長女が生まれて、元夫のギャンブル依存症が発覚するまでの7年弱。
この時間が穏やかで楽しくて、一般的な「普通」の中にいられた貴重な時間だったように感じています。

私が人生の選択肢に「離婚」を増やしてほどなく、妊娠がわかりました。

子どもが重い病気で生まれてきた

三女を出産する直前、私たち家族の世界は一変しました。
生まれてくる赤ちゃんの心臓に重い病気があるとわかったからです。

妊娠初期からトラブルが多かったので周りに話さないようにしていましたが、出産後はますます言えず。
私は人目を避けて行動するようになりました。

生死の境目にいる三女と向き合う日々は、私を孤独にしていきました。

病気のことを相談できる相手はいません。
身近な人たちには事情を話しましたが、皆そろって閉口するばかり。
距離を置く人も少なくなかったのが事実です。

元夫でさえ、どこまで私の話を理解していたのかわかりません。

離れていった人たちは、自分がどんな顔をしているのか気づいていたのでしょうか。
憐みの目、異質なものを見るような目、露骨に避けられました。
「何かあったら声かけてね」と言う顔は、「声を掛けられたら困る」と語っていました。

三女と会えるのは、院内でも限られた人だけが入れる場所。
そこが私の居場所でした。
顔を上げて歩いても誰かに会うことはなく、楽に呼吸ができるような気さえしていました。

そんな生活を7ヶ月。
世間から隔絶されたのではなく、勝手に孤独になったとも言えます。
けれどあの時に感じていた「普通」から遠ざかって行く感覚は、就活で苦しんでいた頃とどこか似ていました。

とても比べられるような内容ではありませんが、幼過ぎた私にとっての就活は生きづらさを増幅させるものでした。

また三女の病気によって、私の心からは罪悪感とともに隠れていた差別意識が引きずり出されました。
障害者が産んだことで「普通」から離れていくと感じている時点で、それは紛れもなく差別だったんです。

三女に対する申し訳なさと、この先迷惑をかけるであろう家族に対する申し訳なさ。
誰の責任でもないことを「私が悪い」と背負ってしまうのは、どこかで周りの期待に応えようとしていたから。

大勢の人が行き交う交差点の真ん中に、誰にも気づかれずに立ち尽くすような。
小さな世界で息をひそめて、気配を消して、そっと生きているような。

深い深い孤独から眺めた「普通」は、勝手な概念に押し込めた虚像でした。
奇跡の積み重ねだと思い知り、それまでの自分がおごっていたことを悔いました。

生きていればまた世界は広がる

小さな世界からの脱出

私を孤独からすくい上げてくれたのは、病気を介して出会った多くの仲間でした。

病院で出会った人たち、SNSを通じて知り合った人たち、三女が生まれてこれまでにたくさんの人たちとお話する機会を得ました。
そして今でも増え続けています。

1万分の1と言われている左心低形成症候群も、先輩・後輩合わせて何人のお友達と出会ったでしょうか。
それは予想をはるかに超える人数で、「私は1人じゃない」と感じられることがどれほど心強かったか。
時代に救われた部分が本当に大きいです。

三女が病気で生まれても、誰一人として私を責める人はいませんでした。
人の厳しさばかりを感じて怖かったはずなのに、気づけばまわりにいるのは優しい人ばかり。

失ったものは多かったけれど、得たものがそれを上回りました。
この先の人生を生きる糧。
何よりも大きな財産です。

それまでの「普通」に戻ることは二度とありません。
ですが、私は新たな居場所を知っています。

ブログを始めた理由と続ける意味

人と関わることで傷ついて、人と関わることが怖かった私は、人と関わることで生きる力をもらいました。
そして同じように、誰かの力になれることも知りました。

私はちっぽけな人間で拙い文章しか書けません。
それでもこの経験や考えが届くのなら、それがこの先を生きる意味ではないのかと。

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そんなふうに、ブログを始めた頃には「知ってほしい」という想いが強過ぎました。
自分の置かれている環境がまわりと違いすぎるのだと、自意識過剰だったように感じています。

今はただ「こういう人もいるんだよ」と。
できる限りフラットでいたいと考えるようになりました。

伝えたい想いはあるし、知ってほしい気持ちもあるけれど。
押しつけるものではないのだから。

ただもしも、過去の私のように孤独を感じている人がいるのなら、1人じゃないことを知ってほしいです。
この世界はカラフルでとても温かい。
私たちと一緒に歩いてみませんか?

ABOUT ME
むっちー
三姉妹シングル母さん@北海道。 貝柱2年目(not 大黒柱、まだまだ頼りない世帯主) 直感で動くタイプのくせに、現実を見過ぎて足が止まるのはトシのせいか。 子どもたちは中学生・小学生・幼稚園児、毎日が体力勝負だけれど笑顔で楽しむスタイル。